四・○六事件
四・○六事件は、2019年(平成31年)4月6日の朝7時から夜2時にかけて行われた、性欲原理主義派の影響を受けた性欲が、数億の下士官を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。
事件の概要
ツカダリュウノスケの脳内の派閥の一つである「性欲原理主義」の影響を受けた性欲と精子らは、かねてから「性欲維新、尊性斬奸」をスローガンに、性欲を以って元老である脳を占領すれば、性欲親政が実現し、性欲らが腐敗と考えている様々な現象や、女性関係に関する困窮が終息すると考えていた。
こうして、性欲らは2019年(平成31年)4月6日に決起する。
性欲らは右金玉第1連隊、左金玉第3連隊、海綿体第3連隊、尿道重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、チンポに関わる重役たちを襲撃、中枢神経大臣官邸、脊髄神経庁、陰茎深動官邸、螺行動脈省、平滑筋本部、平滑筋大臣官邸、動画エロタレストを占拠した。
そのうえで、彼らは中枢神経首脳部を経由してチンポに性欲維新を訴えたが、チンポはこれを拒否。その後ツカダリュウノスケは、彼らを「叛乱軍」としてオナニーによるチン圧を決意した。
主な人物
首謀者
性欲
性欲は、1989年2月26日、ツカダリュウノスケの誕生と共に生まれた。長らく鳴りを潜めていた彼だが、小学校高学年ごろから度々脳の中枢神経を通してクーデターを行っていた。
直近の大規模なクーデターとしては、四・○六事件が挙げられる。
しかし、それ以前にも幾つか大規模なものを起こしており、「送別会勃起事件」や、「水泳時勃起事件」などが挙げられる。
性欲の下士官らの呼び名である。性欲のクーデターの度に凡そ1億近くが動員されており、「生命の無駄使いだ」と時折脳内会議にて糾弾されている。時折、パンツをカビカビにし、ツカダリュウノスケを困らせている。
被害者
金玉
性欲によるクーデターに伴う射精により、毎回苦しめられている。四・○六事件の際には、「このままでは干からびかねない」と、脳の中枢神経に伝達していたと言われている。
右手
性欲によるクーデターによって勃起したちんぽをチン圧するために動員される実行部隊。性欲が最も恐れていた存在とも言われている。僕の利き手。
ツカダリュウノスケ
性欲によるクーデターによって何度も苦しめられている存在。現在21歳男性。
四・○六事件においては、性欲のクーデターにより作業が捗らないことで、精神的ストレスに見舞われていたといわれており、一時期はちんぽのリストラも含む去勢を行おうと画策していた。
事件の背景
性欲は度々クーデターを起こしていたが、今回の事件が起きた背景としては「亜鉛のサプリメント」だと考えられている。
「なんか最近性欲ないな」と悩んでいたツカダリュウノスケは、亜鉛のサプリメントをなんとなく一週間ほど常飲していた。
その結果、性欲に「性欲原理主義」という考えが生まれ、今回の事件が起きたと考えられている。
また、「女性関係の困窮問題」も深刻な問題であった。ツカダリュウノスケの生活問題として度々脳内会議でも大きな議題となっていた女性関係の困窮問題であるが、解決策は出てこなかった。
それに業を煮やした性欲は、「とりあえず性欲に任せていきていたら何とかなるでしょ」という暴論を解決策として挙げていた。
しかし、その解決策は受理されなかった。そのため、今回の四・○六事件から、早期に女性の困窮問題を解決しなければより大きな問題となることを示威したかったのではないかというのも、事件の背景として考えられている。
事件の経緯
朝
朝の7時、起床と共に事件は始まった。突如として性欲はクーデターを起こし、チンポを勃起させたのだ。
しかし、最初のクーデターは右手と、麻梨里夏のナンパものAVによりチン圧された。
このチン圧により、一億の下士官らが犠牲になる。しかし、当の性欲は一時的に姿を消した。こうして、一度目のクーデターは終了する。
昼
第一のクーデターから約5時間後の12時ごろ、影に潜んでいた性欲が再び姿を表す。そして二度目のクーデターが引き起こされた。
もうクーデターは起きないだろうと高を括っていたツカダリュウノスケは対応が遅れてしまった。そのため、二度目のクーデター大変長引いたといわれている。
凡そ一時間に渡る勃起が続いたが、右手とOLものAVによりちんぽの勃起は収まり、クーデターもチン圧された。
夜
さすがに3度目のクーデターはないだろうと考えられていたが、性欲はその裏をかいてきた。
3度目のクーデターはおおよそ深夜2時ごろに起こったようだ。
しかし、このクーデターは思わぬ形で終結する。
その終結を率いたのは
「睡魔」だった。
「食欲」「睡眠欲」「性欲」。この三つは、人間の三大欲求と言われている。
性欲によるクーデターは、この三大欲求の中で一番だからこそ起こせていた。しかし、深夜2時ともなり、睡眠欲が大きく幅を利かせてきたのだ。
その結果、「抜くより眠いわ、寝る」となり、クーデターは思わぬ形で終了し、四・○六事件も終結した。
いまなお燻る性欲
四・○六事件はこうして終わりを迎えたが、だからといって性欲がなくなったわけではない。
いまもなお、性欲は燻っており、抑制された自由を取り返そうとしているようだ。
しかし、四・○六事件は確かな影響を残している。今回の事件を受けてツカダリュウノスケは、女性関係の困窮問題を重要視するようになった。
女性問題の困窮問題を解決できるのかどうかが、今後の脳内会議では争点になっていくようだ。
「ちんぽが喜んでいる」に隠されたAV女優の真の才能
つい昨日、僕はいつも通りエロ動画をネットで探していた。
僕のインターネットサーフィン、つまるところおかず探しはとても長い道のりだ。
一日中溜めに溜めた性欲を吐き出すためには、そんじょそこらの生ぬるいAVでは満足できない。だから、最高のAVを捜し求めて、僕はあまりにも長い時間を掛け、インターネットの海を彷徨う。まさに世は大オナニー時代、といったところだろうか。
エロ動画探しとオナニーを、僕は時折登山と例えることがある。
エロ動画を探す道のりは登山ととても似ている。
エロ動画探しは、登山の上り道だ。時には険しいコースもある。断崖絶壁を登るかの如く、僕のエロ動画探しにも時折厳しい局面が訪れる。求めているエロ動画が探し出せないようなこともあれば、インターネットの接続状態が悪くて難局を示すことも少なくない。
オナニーは、山頂からの眺めだ。険しい道のりや断崖絶壁を乗り越えてきたからこそ、最高の絶景を目に焼き付けることが出来る。厳しい局面を避けて通っては、山頂からの眺めは見れない。オナニーも同じである。苦節極まりない道程を経て得たエロ動画で抜くからこそ、最高の絶頂を脳に焼き付けることが出来る。
そして僕の人差し指は、最高の絶景を探し出すために、スマートフォンの画面の上を素早く滑る。僕の人差し指があまりにも早く動くので、スマートフォンの画面は摩擦熱で焼け焦げ、あらゆるところが黒ずんだり溶けたりしていた。
そして僕は昨日の晩、一つの作品と巡りあった。
そのエロ動画は、女優が男優をフェラ抜きするという内容。15分ほどの長さに渡るフェラ抜きは、フェラ好きには垂涎なものなのではないだろうか。
そして僕はその作品の中で、恐ろしいまでのAV女優の才能を見せ付けられた。
当然、フェラの技術は一人前だ。あんな竜巻のような激しさを持ったフェラをされれば、凡夫のちんぽは数秒も経たず音を上げるだろう。
しかし、僕が注目したAV女優の才能はフェラの上手さではない。
では何か。
「ちんぽが喜んでいる」
この台詞だ。
とんでもない名言だ。「ちんぽが喜んでいる」。美しい響き、令和ではなく、「ちんぽが喜んでいる」が新しい元号になってもよかったのではないか。それほどまでに耽美で、そして平和の香りがする台詞。
それが、
「ちんぽが喜んでいる。」
しかし僕は、この言葉を生みだしたAV女優の語彙力と共に、もう一つの才能に気づいた。
それは、この言葉を聞いた時に生まれた一つの疑問に端を発する。
そう
それは
ちんぽって喜ぶのだろうか。
という疑問だ。
少なくとも僕は、自分のちんぽが喜んでいると感じたことはないし、当然ちんぽが怒っているとも、哀しんでいるとも、楽しんでいるとも感じたことはない。
そもそも、ちんぽに喜怒哀楽などない。ちんぽが勃起するのはただの生理反応でしかないし、射精も当然そうだ。ちんぽに脳があり、ちんぽが自分の意思で喜び、猛り、そして射精する。そんなわけではない。
ちんぽに喜怒哀楽はない。
それにも関わらず、AV女優は「ちんぽが喜んでいる」と、まるで母のような優しい微笑を携えながらフェラをする。
AV女優は、感情のないちんぽに喜怒哀楽を見出す。いや、感情のないちんぽに喜怒哀楽の概念を与える存在なのだ。
そう考えると、AV女優には僕らにはない想像力が備わっていると考えられる。
しかしここで、もう一つの疑問が僕の中には生まれた。
ちんぽには本当に喜怒哀楽が無いのか。
我々人間は時折、ちんぽのことを「息子」と呼ぶ。何故息子と呼ぶのか、その理由の一つとして挙げられるのが、「男性の別人格のようであるから」だ。
しかし、僕はもう一つの論理を提唱したい。
それは、「本当に息子だから」というものだ。
つまり、ちんぽはちんぽでありながらも、一人の人間である、という考え方である。
そう考えると、AV女優が「ちんぽが喜んでいる」という台詞を言うのも納得いくだろう。
AV女優は、ちんぽでありながら人間でもあるちんぽをフェラすることで、ちんぽを喜ばせている、いや、一人の人間を喜ばせている、という風に考えられる。
つまり、ちんぽが喜んでいるという台詞は、「一人の人間が喜んでいる」という意味合いなのではないか。
「ちんぽが喜んでいる」を文字通り取ると、ちんぽという概念に喜怒哀楽があるように聞こえるが、「ちんぽは一人の人間である」という考え方に則ると、ちんぽの奥にある「人間性」が喜んでいる、と捉えることが出来る。
しかし多くの人間は、ちんぽの奥に潜んでいる人間性という真実に気づくことができない。実際、僕は自分のちんぽに喜怒哀楽のような人間性が潜んでいると感じたことはない。
しかし、AV女優はそのちんぽの奥に隠された人間性に気づくことができる。
そのため、恐らく多くのAV女優には「ちんぽのような話すことのない相手の気持ちすら汲み取れるコミュニケーション能力」があるのではないだろうかと僕は考えた。
現代日本社会に生きる人間は、インターネットやSNSの普及、少子高齢化や核家族化などに伴い、直接的なコミュニケーションを取る機会が減ってきている。
そういった現代日本社会の中で、ちんぽという存在の奥に隠された人間性に気づき、喜怒哀楽に反応できる才能を持つAV女優という存在は、とても稀有なものなのではないだろうか。
我々現代日本社会に生きる人間は、AV女優から確かなコミュニケーション能力を学ぶことができるに違いない。
なんてことを、自分のちんぽを喜ばせながら思いました。
ユスリカ舞う季節
最近困っていることがあります。
それがユスリカの襲撃です。
ユスリカ(揺蚊)はハエ目(双翅目)・糸角亜目・ユスリカ科(Chironomidae)に属する昆虫の総称。和名は幼虫が体を揺するように動かすことに由来すると言われる。成虫はカ(蚊)によく似た大きさや姿をしているが、刺すことはない。またカのような鱗粉も持たないため、カと見誤って叩いても、黒っぽい粉のようなものが肌に付くことはない。
毎年春になると、ユスリカが家の周辺に大量発生します。
殆どの人は、春の訪れを桜で感じるかもしれませんが、僕の場合はユスリカです。情緒も何もあったものではありません。
さらに困るのが、ユスリカが部屋に大量に侵入、もとい襲撃してくることです。
今こうしてブログを書いているときにも、視界の端でユスリカの野郎が飛んでいるのが見えました。
野郎なんて単位ではありません。野郎共です。
奴らは徒党を組んで部屋を襲撃してきます。そう、奴らにはきっと知性があり、僕ら人間の生産性を落とすためにこうして部屋を複数人で襲撃してくるのです。
やめてください、本当に。
僕だって、春の訪れを桜に感じて、花見とかいきたいんですよ。
でも、僕の場合だと春というとユスリカ。ユスリカ見ながら友達と談笑して、お酒飲むとか無理じゃないですか。まず僕虫苦手だし。
そういえば、お花見ってしたことないんですよね。これって多分、ユスリカのせいなんじゃないかなと思います。
だって僕が春の訪れを感じるの、ユスリカだもん。
大体、何でユスリカが大量発生するんですか?
ユスリカのせいで外に洗濯物干せないから、除湿機買いましたよ。
それ以外にも、ユスリカは僕の生活に大きな害を及ぼしているんですよね。
寝るじゃないですか、人って。でもそのときに部屋にユスリカが飛んでたらどうしますか?
殺すじゃないですか。
でも、日によっては際限なく沸いてくるわけですよ。ユスリカのリスポーン地点に指定されているわけですよ、僕の部屋。
だからか分からないですけど、最近寝る前にかなり目を凝らして部屋にユスリカがいないか確かめちゃうんですよ。
でもリスポーン地点だから大体発見してしまうわけですね。
殺すじゃないですか。
これを永遠と繰り返しているせいか、最近夜中々寝れないんですよ。
ああ、今日も夜が来るのが怖い。
あ、もう気づいたら夜ですね。ユスリカを殺していたら気づけば夜だ。あ、また視界の端にユスリカが写った。
殺すじゃないですか。
寝れないじゃないですか。
本当の寝れない理由は、ずっとゲームしてるからです。最近ブログ更新してなかったのもそのせいです。ユスリカの所為にしちゃってごめんね。
でも、部屋を襲撃するのは本当にやめてください。何がしたいんだよ。勝手に人の部屋入るなよ。せめてノックなりチャイムなり鳴らせよ。
さてゲームしてユスリカ殺して寝ますか。
ドゥテルテ大統領が好き
皆さんはドゥテルテ大統領をご存知でしょうか?
ロドリゴ・ロア・ドゥテルテは、フィリピンの政治家。現在、同国大統領(第16代)。ダバオ市長を7期務めた。
最近、ドゥテルテ大統領が好きなんです。
レイテ島のマアシン出身で、父親は法律家、母親は学校教師という家庭に生まれ育ち、幼少期にはダバオに移ったドゥテルテ。
成人し、ダバオでは改選を繰り返したり、娘を市長に立候補させ自分は副市長になったりなどをして、ダバオの市政に貢献し続けたドゥテルテ。
麻薬に関わる犯罪者に対して徹底的な抗戦を謳い、超法規的な措置も厭わない正義感のあるドゥテルテ。
2016年の大統領選で、過激な発言を繰り返し「フィリピンのトランプ」とも揶揄されたドゥテルテ。
親日思想を持ち、対北朝鮮関係においても「我々は日本とともにある。私は金正恩をバカ者と呼んでいる」と発言をしたドゥテルテ。
そんなことはどうでもいいんです。
ではなぜ僕がドゥテルテ大統領が好きなのか。
名前なんですよね。
「ドゥテルテ」
響きめっちゃ面白くないですか?
名前のドタバタ感、すごくないですか?
ドゥテルテって名前になぜこんなにもドタバタ感があるのか、考えてるんですよ最近。
まず、「ドゥテルテ」の「ド」って部分が、ドゥテルテという名前の助走の部分になっていると思うんですよね。
ここが「ト」とか「モ」とか「ス」とかだったら助走にならないから好きにならなかったと思うんですよ。
比べてみましょう。
「トゥテルテ」
「モゥテルテ」
「スゥテルテ」
「ドゥテルテ」
いかがでしょうか。
ドゥテルテのほうが加速感がありませんか?
次に、「ゥ」の部分なんですけど、「ド」の部分で加えられた速度を、見事に生かしているポイントだと思うんですよね。
ここが「ォ」とか「ッ」とか「ュ」とかだったら絶対好きにならなかったと思うんですよ。
比べてみましょう。
「ドォテルテ」
「ドッテルテ」
「ドュテルテ」
「ドゥテルテ」
いかかでしょうか。
ドゥテルテのほうが加速を生かしている感がありませんか?
それで、「テルテ」の部分なんですけど、前半の「ド」と「ゥ」で生まれた速度で、見事に転倒している感がありませんか?
ここが「メルメ」とか「フェルフェ」とか「エルエ」とかだったら絶対好きにならなかったと思うんですよ。
比べてみましょう。
「ドゥメルメ」
「ドゥフェルフェ」
「ドゥエルエ」
「ドゥテルテ」
いかかでしょうか。
ドゥテルテのほうが、転倒感がありませんか?
では逆に、ドゥテルテと比較したものを掛け合わせてみましょう。
「トォメルメ」
「モッフェルフェ」
「スュエルエ」
いかがでしょうか。
全然ドタバタ感がないですよね。
それに比べると
「ドゥテルテ」
ドタバタ感がすごい、素晴らしい名前ですよね。
そんな素晴らしい名前を持つドゥテルテ大統領が最近好きです。
月と太陽
金髪にしてからおよそ3週間ぐらいが経ちました。
「金色」というと、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
金塊を思い浮かべるかもしれませんし、純金のネックレスを思い浮かべるかもしれませんし、リオレイア希少種を思い浮かべるかもしれませんし、金玉を思い浮かべるかもしれません。
僕は自分の金髪を見て、「ああ、金玉のようだな」と思ったのですが、僕の数少ない友人の一人は「月の光」を思い浮かべたそうです。お洒落ですね。
ここから分かるのは、僕の髪の毛は「月の光」と同じであるということ。
そして、その髪の毛を生やしている僕の頭部は「月」と同じであるということ。
僕の頭部は月
月は僕の頭部
月(つき、独: Mond、仏: Lune、英: Moon、羅: Luna ルーナ)は、地球の唯一の衛星である。太陽系の衛星中で5番目に大きい。地球から見て太陽に次いで明るい。
古くは太陽に対して太陰とも、また日輪( = 太陽)に対して月輪(がちりん)とも言った。
→こちらは僕の頭部に関してのwikipediaです
つまり
夜の月の光に幻想性を感じている方は、僕の髪の毛に幻想性を感じているのと同等だということを念頭に置いておいてください。
夜空に浮かぶ月を見て美しさを感じている方は、僕の頭部に美しさを感じているのと同等だということを念頭に置いておいてください。
「I love you」を夏目漱石の真似をして「月が綺麗ですね」と表す文学好きの方は、「塚田竜ノ介の頭部は綺麗ですね」と言っているのと同等だということを念頭に置いておいてください。
さらに、その「月が綺麗ですね」に対して「あなたと見ているからでしょうか」と返すあなたは、僕の頭部を見ながら相手の方と会話をしているのと同等だということを念頭に置いておいてください。
「月が綺麗ですね」に対しての返しは「死んでもいいわ」が一番粋です。
ちなみに僕の人生ではほとんど「宵待草が咲いています」としか答えられたことがありません。「死んでもいいわ」と答えてくれる人、連絡ください。
話は変わりますが、僕は比較的肌が黒い方です。
「黒色」と聞くとみなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
鉛筆を思い浮かべるかもしれませんし、夜を思い浮かべるかもしれませんし、グラビモス亜種を思い浮かべるかもしれませんし、金玉を思い浮かべるかもしれません。
僕は自分の顔面を見て、「ああ、金玉のようだな」と思ったのですが、僕の数少ない友人のほとんどは「太陽の黒点」を思い浮かべたそうです。お洒落ですね。
ここから分かるのは、僕の顔面は「太陽の黒点」と同じということ。
僕は太陽
太陽は僕
太陽(たいよう、英: Sun、羅: Sol)は、銀河系(天の川銀河)の恒星の一つである。人類が住む地球を含む太陽系の物理的中心であり、太陽系の全質量の99.86%を占め、太陽系の全天体に重力の影響を与える。
太陽は属している銀河系の中ではありふれた主系列星の一つで、スペクトル型はG2V(金色)である。推測年齢は約46億年で、中心部に存在する水素の50%程度を熱核融合で使用し、主系列星として存在できる期間の半分を経過しているものと考えられている。なお、内部の状態については未解明な部分が多く、現時点では主に後述する「標準太陽モデル」によって求められているのが現状である。
また、太陽が太陽系の中心の恒星であることから、任意の惑星系の中心の恒星を比喩的に「太陽」と呼ぶことがある。
→こちらは僕に関してのwikipediaです
太陽から放たれる暖かな春の日差しに感謝している方は、僕に感謝しているのと同等だということを念頭に置いておいてください。
野菜や果物の名前を付けるときに「太陽の恵み」と名前を付けた方は、「塚田竜ノ介からの恵み」という名前を付けたのと同等だということを念頭に置いておいてください。
カーテンに収まりきらずに溢れ出した黄金色の朝の光で爽やかな一日を迎えた方は、僕から放たれた光によって爽やかな一日を迎えられたのと同等だということを念頭に置いておいてください。
頭部に月を持ち、存在が太陽である僕という存在
これを日本古事記に当てはめると、僕は「神」だということが分かるでしょう。
太陽神である「天照大御神」と、月と夜を司る神である「月読命」。
そしてこの二つの存在を兼ね備えた、太陽と月を司る現代の神、僕。
みなさん、僕という存在に感謝してください。昼があるのも、夜があるのも僕のお陰です。
地球が人間が生活できるほど暖かいのも、あらゆる植物や動物が育つのも、太陽光発電が出来るのも僕のお陰です。
夜の暗い道が照らされているのも、月明かりというものから様々な美しい文学が生まれるのも、ZOZOTOWNの前澤社長が月へ行こうと思ったのも僕のお陰です。
皆さんが今この世界で生きていけているのは僕のお陰なのです。
神に感謝している方は、僕に感謝しているのと同等だということを念頭に置いておいてください。
今の「ボク」はどの「ボク」ですか?
時折、自分が二重人格、あるいは多重人格なのではないかと疑うことがあります。
二重人格とは?
人格の障害の一種とされ,自我の継時的統一性が失われて2種あるいはそれ以上 (多重人格) に分裂する障害をさす。 W.ジェームズのあげているアンセル・ボーンの例では,2つの人格がある期間をへだてて現れ,それぞれ相異なる姓名を名のり,まったく別の職業についていて,相互の間には記憶の連絡がなかったといわれる。
出典 コトバンク
なぜ、僕は僕が二重人格であると疑うのか。
そのきっかけになったのが、
オナニーでした。
自分が射精をする前には、画面の向こうで繰り広げられる非常に情熱的な性行為に魅了され、心惹かれ、陰茎をこれ以上ないまでに膨張、隆起させ、完全に釘付けになるのですが、ひとたび射精すると
それがただの奇怪で不気味な、形容しがたい不潔さを持った組体操にしか見えなくなるのです。
こういった体験から、自分の人格が一つとは言えないのではないかと思うに至ったのです。
そして、僕はこの「性行為が大変魅力的見える自分」と、「性行為が奇怪な組体操にしか見えない自分」との乖離に大変苦しめられています。
ついさっきまではとても美しく、妖艶に、そして淫らに見えた女性が一瞬の内に
とても不潔で動物的な妖怪に見えてしまいます。
ついさっきまでは、自己投影しながらも、指をくわえるまでに「騎乗位されていいなと」羨ましがっていた男優が
とても滑稽な存在で、まるで魂のないマネキンのように見えてしまいます。
このような弊害のある僕の二重人格性ですが、一番の弊害として挙げられる事象があります。
それは
「お掃除フェラに良さをを見出せなくなってしまうこと」なのです。
奇怪な組体操を終えた後に、精液の残った陰茎をしゃぶり尽くし、「気持ちいでしょ」とどちゃくそエロい顔で述べる女性。
「怖い。」
射精した後の「ボク」という人格は、その「お掃除フェラ」という行為に対して確かに恐怖を感じました。
しかし恐らく、射精前の「ボク」であれば、その「お掃除フェラ」という行為に対して、決して恐怖は感じないでしょう。
むしろそこに感じるのは恐怖などというマイナスな感情ではなく、明らかなプラスの感情である
「気持ちよさそー!!」
だと思います。
恐らくですが、その気持ちよさそーという感情は、決して心だけに留まるものではなく、確実に僕の身体にも影響を及ぼすのではないかと思います。
きっと、「お掃除フェラ」という行為に対して興奮して射精の限りを尽くすでしょう。
一度性行為を果たし、満足したと思いきや陰茎をしゃぶりだす女性。その淫らであり、残った精子を搾り出そうとするむき出しの本能、しかしその行為に至るのは、本能とは異なる理性から生まれる献身的な心持ち。
「お掃除フェラ」
なんてエロい行為なのでしょうか。
しかし、お掃除フェラを見た段階で、僕には気持ちよさそーという感情が生まれ、その感情が陰茎に伝わり射精してしまいます。
そうすると
画面の向こうの「お掃除フェラ」は「奇怪な組体操」にしか見えなくなる。
お掃除フェラを性行為として捉えている自分と、お掃除フェラをただの奇怪で不気味な組体操と捉えてしまう自分。
多い日には計3回ほど、こういった体験をしてしまいます。
一度のオナニーで二つの「ボク」という人格が現れると考えると、多い日には計6人の僕が生まれてしまいます。
二重人格どころか、六重人格になる日もある僕という存在。
果たして今の僕は、どの人格なのでしょうか。
丸テーブルへ送る言葉
喫茶店とかカフェとか行くと、こういうテーブルあるじゃないですか。なんか丸くて小さめで洒落ているテーブル。
これなんなんですか?
作業するとき、めっちゃ使いにくいじゃないですか。
まず、一人か、せいぜい多くても二人が使うテーブル、なんで丸くしたんですか。
まだ、会議で使う大きなテーブルが心理学的観点から丸いのとかは分かるんですよ。
でもこれ、一人用じゃないですか。
一人用のテーブル丸くしてどうするんですか?
というか、世間はなんでもかんでも「マル」にすればいいと思っているでしょ。
100点満点を貰えれば、花「マル」が貰える。
なにかが問題なかったときも、手で「マル」のサインを送る。
だからって、テーブルまで「マル」にしないでくださいよ。
だって使いにくいじゃないですか。
四角いテーブルだったら、テーブルの面積を目いっぱいに使えるじゃないですか。
丸テーブルだと、四角に比べて明らかに使えるスペースが小さくなるじゃないですか。なんでわざわざ四角いテーブルの角削ったんですか。
メモ取りながらパソコンいじれないし、メモ取りながら本読むことも難しくなるじゃないですか。つまり、メモを取りながらなんらかの作業をする、ということが非常に困難になるじゃないですか。
でも、メモ取りながらチンコをいじることは出来る。
「メモ取りながらチンコを触る男。」
「チンコを触りながらメモを取る男。」
そんな男がいて良いわけがない。公然猥褻罪で現行犯逮捕されますよ。でも、丸テーブルで出来る作業なんてそれぐらいしかないじゃないですか。
まずなんですか、「メモを取りながらチンコを触る男」って。チンコ触るかメモ取るかのどっちかにしろよ。
しかも、なんのためにメモ取ってるんだよ、それ。自分にとって丁度良いチンコの触り方でも、備忘録的に取ってるんか。
でも、丸テーブルで出来る作業なんてそれくらいしかないじゃないですか。
つまり、丸テーブルって、「メモ取りながらチンコ触る男」に向けて作られているんですかね?
最高級の木材を厳選して、北欧で一から職人による手作業で作られた、高級丸テーブル。
しかし、それは「メモを取りながらチンコをいじる男」向けの商品。
最高級の木材は、「メモを取りながらチンコをいじる男」のために丹念に育てられ、北欧で5本の指に入るような職人は、「メモを取りながらチンコをいじる男」のために必死に技を学ぶ。
そしてそれを見つけて売り出す現地の目利きの商人は、「メモを取りながらチンコをいじる男」のために商品を厳選し、それを世界へ売り出す商社は、「メモを取りながらチンコをいじる男」のために世界へ丸テーブルを拡散する。
丸テーブルに関わる全ての人が、「メモを取りながらチンコをいじる男」にターゲティングして、仕事をしている。
彼らが皆、家族のため、あるいは自分の夢をかなえるためにしている仕事。それらは全て、「メモを取りながらチンコをいじる男」のためのものである。
そして、巡り巡って、丸テーブルを置いている喫茶店やカフェ。そこのメインターゲットは、「メモを取りながらチンコをいじる男」なのでしょう。
「メモを取りながらチンコをいじる男」
そんな変態をメインターゲットにしているお店が、日本中どころか世界中に存在している。
変態をメインターゲットにしている喫茶店やカフェで、自分の作業をする人間。
それは、ただ単に場違いなだけだ。
なぜなら、丸テーブルのあるカフェに行く人間の目的は、「メモを取りながらチンコをいじること」だからだ。
なので、今度から丸テーブルのあるカフェや喫茶店に行くときは、メモを取りながらチンコをいじるために行こうかなと思います。