小説を書いています。そして今酔っ払っています。
酔っているときにSNSを開くのは危ないよ、という話はよく聞く。というか僕自身もそう思うし、何度もそういった痛い経験をしてきている。
にも関わらずこうしてブログを書いています。反省しませんね、人間というものは。いやまあ反省して身を改め行動を改める方々もいるので人間と一つの括りにしてしまうのも悪いのでしょうが。
今僕は、酒を飲みながら煙草を吸いながら文章を書いています。飲んでいるお酒はもちろんストロング系のコスパが良い奴。今でこそ煙草はアメスピを吸っていますが、もしかしたらわかばやエコーのようなより安いものに移行するかもしれません。なんとも親不孝者ですね。
先日、小説家になろうの方で『モリタ』というタイトルの短編小説を投稿しました。今まで小説を書こう書こうと思いながらも完結せずにいた僕にとっては、世間的に見たら大変小さいながらも僕にとっては大きな一歩だったと思います。
僕はどうにも衝動で動いてしまうタイプらしく、長い時間を要するものが苦手なのです。なので、あえて短めの小説として投稿しました。そして衝動で動くタイプなので、誤字脱字はもちろん、表現の矛盾などもあります。そこは性格の問題としてご了承いただきたいものです。あとで直します。
さて、『モリタ』という朝井リョウさんからの影響をがっつり受けた、『桐島、部活やめるってよ』のパクリ小説みたいなものを恥ずかしながら投稿した僕ですが、今度は少し長めのものを書こうかなと思っています。その全貌については、僕の気が許したらですが、いつか分かるのではないかと。
さっきまで、その小説の冒頭部分を書いていました。せっかくなら、ばばっと書いて見せたいものですが、大変に遅筆なので、いつ終わるか分かりません。そのため、さっきまで書いていた冒頭部分をこちらにコピーアンドペーストで載せようかなと思います。もし興味が沸いたら、なろうの方でも追って頂けると嬉しいです。
1
子どもが出来たときに、親というのは子どもの名前に意味を込めるらしい。
「実りのある人生になりますように」
両親は私の「実乃莉」という名前にこういった意味を込めたそうだ。この話を聞いたのは確か小学生とか中学生くらいの時だっただろうか。
私は、自分の名前が嫌いだ。
「実りがある人生になりますように」
あまりにもプレッシャーすぎる。母親が私に名前の由来を説明したときには「なりますようにっていう意味を込めたのよ」なんて言っていたが、本心ではきっと「実りのある人生を送りなさい、そういう人生を送らないと貴女を生んだ私たちが恥ずかしいわ」と思っていたに違いない。
だから私は、自分の名前が嫌いだ。
疲れた体に鞭を打って、店内の締め作業が全てきちんと終わっているのかどうかを確認する。この前はエアコンを切り忘れて、店長にしこたま叱られた。店長自身はいつもダラダラと漫画を読んで、締め作業を私に放り投げるくせに。
さっきエアコンは切ったが、念のためもう一度確認する。といっても、店内の温度からして切れているのは分かっているのだけれど。
私にとって勝負の年である今年も、もう春が終わってしまった。エアコンを切って五分も経つと、室内に熱気が篭る。
「さ、帰ろ」
誰もいない店内に、私の声が消えていく。
大学を卒業してから三年、私は未だに自分が納得する成果を出せずにいた。フリーターとして漫画喫茶で働きながら、カメラマンとして成功を収めるために必死に過ごしてきた今までは、自分でいうのも変な話だが血の滲む様な努力をしてきた。
また過去を振り返っている。
「僕は今この瞬間をカメラに収めたいのかもなー」
大学生のとき、同じ写真サークルに所属していた同級生の台詞を思い出す。彼はいつも今と未来しか見ていなかったような気がする。
いつも公募の賞レースで彼は私の上をいっていた。ネットで選考結果を見るとき、いつも最初に目に入るのは彼の名前だった。
また過去を振り返っている。
今までのことというのはどうしてこうも付きまとってくるのだろうか。それはまるでイエスが背負った十字架のように、私の背中に体重を掛けてくる。
「実りがある人生になりますように」
母親が私に告げた言葉が、また頭の中で繰り返される。
駅前にあるバイト先の漫画喫茶から出ると、これから全力を出して活動を始める太陽が準備運動を始めていた。空は白んできていて、町は淡い青色に染められてきている。
初夏の明け方というのは過ごしやすい。しかし私にとっては、もうタイムリミットが迫ってきていることを示す。昔の私だったらこの過ごしやすい明け方に、すっきりとした気持ちで写真を撮っていただろうか。あるいは成功している私だったら。
一応気分転換に、ポケットからスマホを取り出して何枚か写真を撮ってみる。白んできた空、駅前の往来、シャッターの閉まった雑貨屋。悲しいことに、どれを撮っても私の心はすっきりとしない。夏が迫ってきていることを示す、少し湿気を含んだ空気だけが意識に残る。
昔の私だったら、「今この瞬間をカメラに収めること」を楽しめただろうか。あるいは成功した私だったら。
最近は頭の中でこんな思考がぐるぐると巡っている。そしてぐるぐると巡り、結局出口を見つけないままいると、住んでいるボロアパートに辿り着いていた。
私が住んでいるのは101号室。掛かっている表札は木製で、中途半端なサイズに割られている。残された方には「TAKAHASHI」とお洒落な筆記体で書かれている。私の苗字だ。
玄関を開けて目に入るのは、床に散らばった書類たちだ。その数は私が持っている靴の数を優に超している。
はあ、と溜息が出る。書類を纏める余裕が無くなってしまったのはいつからだろうか。税金を納める余裕がなくなったのは、年金を支払う余裕がなくなったのは。
履いていた靴を脱ぎ捨て、寝るための準備をてきぱきと進める。歯を磨きながら服を脱いで洗濯籠に放り込んだ。洗濯籠から溢れてきた自分の洋服やら下着やらを見て、そういえば最近洗濯してないなーと思い出す。
ユニットバスの狭いシャワールームでシャワーを浴びながら、色々と思い出す。
カメラマンを目指すといって両親と喧嘩をした日、期待を胸に住んだ今のアパート、自分の名前の漢字が入っているからと縁起を込めて撮ったジャスミンの花、スマホの画面で見る落選の知らせ、いつからか嫌いになってしまったジャスミン茶、「実りがある人生になりますように」、「僕は今この瞬間をカメラに収めたいのかもなー」。
全てシャワーから流れ出るお湯と一緒に流れてしまえばいいのに。カメラマンを目指そうなんて言った私の過去も一緒に、流れてしまえばいいのに。
汚れの溜まった髪の毛を洗い流しながら、私は泣きそうになっていた。
続きはまたいつか。
深夜に失礼しました。それでは、おやすみなさい。
今度時間を作ってまたくだらないブログ記事を書きます。少々お持ちくださいませ。