部屋が汚い

好きな食べ物がカレーとハンバーグなので、多分僕は小学生です。小学生の頃から部屋の片付けは苦手でした。

猫語、三選。

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人間の言葉の中で一番難解と言われているのは日本語ですが、動物の言葉で一番難解なのは「猫語」だとのこと。

 

東京農業大学農学部バイオセラピー学科の太田光明教授によると、猫語の全容解明には100年近くが必要だとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあそんな猫語なんですが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕最近、猫語を話すようになったんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、最近話すようになった猫語を三つ選んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニャーン

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この猫語は、僕が驚いたときに出る猫語です。トランプのゲームをしていて、良いカードが出ないときとか負けたときとかに出ます。ニャーンって感じで。

 

あと、逆に嬉しくて驚いたときにもこの猫語が出ます。ゲームに勝ったときとかにも言います、というか鳴きます、ニャーンって。

 

ニャーン

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この猫語は、僕が夜突然恥ずかしかったことを思い出したときに出るものです。

 

よくあるじゃないですか、夜突然あった嫌なことを思い出すやつ。僕の場合は、大概恋愛関連ですが。

 

そうなった時に出ます、ニャーンって。

 

ニャーン

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この猫語は、僕がムラムラしたときに出るものです。

 

発情の合図です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニャーンって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猫語は難しい

僕がよく使っている猫語を三つ選んでみたわけですが、全く違いが分からないですよね。

 

猫語は難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのため、僕の大学の外国語学部に、猫語学科を作って欲しいなと思っています。

カレー味のうんことうんこ味のカレー、食べるならどっちがいい?この議題に一つの答えを提示します。

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僕の大好きな「ポニピリか」さんのカレー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カレー味のうんことうんこ味のカレー、食べるならどっちがいい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼い頃、こういった他愛の無い議論をしたことがあるのではないだろうか。

 

しかし、「他愛の無い議論である」と切り捨てるには勿体無い、なんとも深みのある議題だと僕は考えている。

 

そのため今日、僕はこの深淵のような議題に対して、一大学生ながら一石を投じようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず何故こんな話がされるのか?それは見た目が似ているから

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「うんこ」といえばこの人

この議題が、「カレーとうんこの見た目の類似性」から来ているのは明らかだろう。

 

そう、我々人類にとって、カレーとうんこを見た目だけで見分けるのはとても難しいことなのだ。

 

つまり、見た目においては「カレー=うんこ」という方程式が成り立つ。

 

では、その他の要因はどうなのだろうか

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「見た目」というファクターでは「カレー=うんこ」となったが、他のファクターではどうなのだろうか。

 

「食べ物」として物事を捉える場合、ファクターは「味」「臭い」「食感」などを考えればいいだろう。

 

カレーとうんこを「味」で考える

ではまず一つ目のファクターである「味」の側面からカレーとうんこを考えてみよう。

 

カレーの味だが、これに関しては言うまでも無いはずだ。辛いか辛くないかは別として、スパイスの効いている、食欲を駆り立てる味だ。食べても食べてもまた食べたくなる味、カレーの味はそんなものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では次にうんこの味を考えよう。しかしうんこの味を考える前に一つのことを定義したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うんこが「生」なのか「加熱されているのか」どうかである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カレーは加熱調理されたものであるから、比較としては「加熱されたうんこ」を引き合いに出すべきだろう。

 

しかし、難しいのが「加熱調理されたうんこを食べた人が圧倒的に少ない」という点である。生うんこを食べたことがある人も相当少ないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というかまず、「うんこを加熱する」という発想なんだよ。怖すぎるだろ。自分の体から出たものを加熱する、しかもめっちゃ汚いものを。頭がおかしすぎる。そんな人間が存在して良いわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな人間がもし存在してしまったら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは世界の終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

End

 of

  the

   world

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ世界に終わって欲しくはないので、今回は残念ながら加熱されたうんこではなく、生のうんこで比較してみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

随分と話が逸れてしまったが、生のうんこの味はどんな味なのだろうか。

 

その味はどうやら「苦い」らしい。

 

ちなみにうんこが苦いのは生理学的にも立証されている。詳しいシステムは以下のようになる。

 

消化酵素である胆汁と言うものが、肝臓で作られ胆嚢から分泌されます。

この胆汁はものすごく苦いと言われています。

 

小腸を通り終わったときには食べた食物はもう栄養分が抜き取られ、さらに大腸で水分が抜き取られ、このときには食べた物は食べ物の味すらしないそうです。

 

胆汁の苦味を帯びた食物繊維のカスや菌類だけとなっているそうです。

このゆえに大便は苦いそうです。

出典:Yahoo!知恵袋より

 

こういった点から、カレーとうんこの味は全く異なるということが分かった。

 

カレーとうんこを「臭い」で考える

では次に、カレーとうんこを「臭い」の側面から比較してみよう。

 

カレーの臭い、いや、あんなに高尚な食べ物が嗅覚を刺激することを「臭い」なんて言ってしまっては罰当たりだ、カレーに関しては「香り」と表現しよう。

 

カレーの香りは言うまでもない、いや、嗅ぐまでもない。スパイスをふんだんに使っている本場のカレーであれば、使っているスパイスにもよるがかなり独特な香りがする。

 

しかしそれは決して、決して「臭い」や「生理的に受け付けない」といったものではないだろう。

 

日本のものでも同様で、百人中百人が「これカレーだわ」と分かる香りをしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、うんこの臭いはどうだろう。

 

それはもう筆舌しがたい臭いだ。臭い。臭すぎる。どんな美女がしたうんこでも臭い。でも僕の哲学では、美女はうんこをしないとなっているので、美女のうんこは存在しないものとする。

 

うんこの臭いは、百人中百人が「これうんこだわ」と分かる臭いをしている。

 

うんこの臭いは、うんこの臭い以外の何者でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、カレーとうんこの臭いは全く異なるということが分かった。

 

カレーとうんこを「食感」で考える

最後に、カレーとうんこを「食感」の側面から考えよう。

 

「味」や「臭い」に関しては確認するまでもないファクターであったが、「食感」に関してはかなり難しい部分だろう。

 

まずカレーの食感であるが、通常のものであればどろどろした食感であるし、スープカレーであればさらさらとしている、ドライカレーなんかはかなりしっかりとした食感を持っている。

 

次にうんこの食感であるが、以下のものはあくまでも推測でしかない。だってうんこ食ったことねえもん。下痢気味のうんこであればどろどろ~さらさらのような食感だろうし、便秘から生まれたうんこであれば比較的固めの、しっかりとした食感だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、カレーとうんこの食感は、比較的類似性があるのではないかと考えられる。

 

ご飯との相性

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キーマカレーを家で作れる女性と結婚したい

さて、カレーとうんことの類似点や相違点などを確認したが、それぞれよりイメージしやすいように「カレー」や「うんこ」という単一の概念ではなく、何かと組み合わせた「料理」として捉えてみよう。

 

カレーを使う料理として最も食べられているポピュラーなものは「カレーライス」だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではうんこを使う料理は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うんこを使う料理として最も食べられているものとは一体なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というか、うんこを食材や食料として捉えるってなんだ?うんこは食材でも食料でもない、うんこだ。料理でもなんでもない。そのため、うんこを使った料理など存在しない。

 

そのため、今回はカレーに当てはめて、「お米との相性」を確認してみよう。

 

ちなみに今回は、日本で最も食べられていると考えられる「コシヒカリ」を、カレーやうんこと掛け合わせるお米として定義する。

 

カレーとライス

まずはカレーとお米の組み合わせ、「カレーライス」の味を考えてみよう。

 

言うまでもない

 

最高の味だ。カレーライスはその味の良さから、「カレーライス」という概念を確立している。

 

カレーライスの中での味の優劣はあるだろう。しかし、「その他の料理」と優劣を決める必要はない。なぜなら、カレーライスはカレーライスという概念を確立しているからだ。

 

「カレーライスとハンバーグ、食べるならどっちがいい?」なんて聞いてくる奴は愚か者だ。

 

どっちも旨い。

 

うんことライス

では次に、うんことお米の組み合わせ、「うんこライス」の味を考えてみよう。

 

言うまでもない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなものは存在しない。想像も出来ない。そのため、「味」と「臭い」の似ている「ドリアン」で考えてみよう。つまりは「ドリアンライス」である。

 

考えるまでもない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦いものとご飯は基本的に合わないし、なによりも臭いがだめだ。うんこの臭いで食欲がそそられるやつがいるだろうか、いや、いない。

 

しかし、「うんこライス」という料理はある意味で唯一無二の存在であり、料理としての概念は確立していると考えられる。

 

うんこライスの中での味の優劣はあるだろうが、その他の料理と比べる必要なない。なぜなら、単一の料理として概念を確立しているからだ。

 

「うんこライスとハンバーグ、食べるならどっちがいい?」なんて聞いてくる奴は愚か者だ。

 

ハンバーグに決まっている。

 

てかまずなんだよ、うんこライスって。

 

「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」を考える

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さて、料理としてのカレーとうんこを考えたところで、本題に戻ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」食べるならどっちが良いのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで様々なことを列挙してきた。そのため、改めて分かりやすいように五つのファクターを比較した表を見てみよう。

 

       カレー     うんこ

見た目    茶色い     茶色い

 味       美味しい     まずい

  臭い    スパイシー   うんこ臭い

  食感     それぞれ    それぞれ

米との相性  大変よい       悪い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここからが本題である。「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」を考えてみよう。

 

まずはカレー味のうんこについてだ。

 

見た目や食感はうんこかもしれない。しかし、うんことカレーはそもそも見た目や食感が一緒である。そしてカレー味であるということは、調味料として(うんこに調味料というのも奇妙な話だが)スパイスが使われているということが考えられる。つまり、臭いもカレーに寄ったものだと考えられるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、カレー味のうんこは「カレー」である、といえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では次にうんこ味のカレーについてだ。

 

見た目や食感はカレーかもしれない。しかし、カレーとうんこはそもそも見た目や食感が一緒である。そしてうんこ味であるということは、調味料としてうんこ(調味料としてのうんこ?)が使われていると考えられる。つまり、臭いもうんこに寄ったものだと考えられるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、うんこ味のカレーは「うんこ」である、といえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんはどっちを選びますか?

さて、「カレー味のうんこ」と「うんこ味のカレー」、みなさんはどちらを選ぶだろうか。

 

ここまで長い考察文を読んできた皆さんであれば、「カレー味のうんこ」を選ぶことと思う。

 

なぜなら、「カレー味のうんこはカレー」だし、「うんこ味のカレーはうんこ」だからだ。

 

全人類にとっての長年の疑問である「カレー味のうんことうんこ味のカレー、食べるならどっちがいい?」というものに対して、一大学生ながらも一石を投じられたのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日はカレー味のカレーを食べるか。

岸明日香、アート、余白

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岸明日香はアートである」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というと、何言ってんだこいつついに気が触れたのかというか前から気が触れてるわ表社会に出るなよ、といわれてしまうかもしれない。

 

あるいは、グラドルのような性的なものをアートと表現することで、斜めの視点を持っている俺センス爆アリじゃね?と言いたいだけの人と思われるかもしれない。

 

しかし、そうではない。僕は、真剣に、岸明日香はアートだと思っている。

 

その理由は、岸明日香のようなグラドルと、アートが持つとある共通点による。

 

アートには余白が重要

個人的な見解ではあるが、音楽や文学、そして美術のようなアートには「余白」が重要になる。

 

「余白」という表現で分かりにくい場合は、「隠された真実」「受け手に考えさせる解釈の余地」とでも言えばいいだろうか。

 

では、なぜ「余白」が重要になるのだろうか。それは、「見えているようで見えていない、その奥に隠されている事柄が人の好奇心を刺激するから」だ。

 

今回はまず、「ヨハネス・フェルメール」の描く「地理学者」を例に、アートの余白を確認してみよう。

 

ヨハネス・フェルメールの描く「地理学者」

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皆さんは「ヨハネス・フェルメール」という画家をご存知だろうか。一時期日本でもフェルメール展が開催されたことから、聞いたことはあるだろう。ちなみに、フェルメール展は僕が人生で初めて訪れた美術展です。

 

ヨハネス・フェルメールはオランダのデルフトという地で生まれた、いわゆるバロック期の画家の一人だ。写実的な手法と緻密に計算された空間構成が魅力の画家だが、特に注目すべき点は「光」だろう。その巧みな光の描き方から、「光の魔術師」とも呼ばれている。

 

「地理学者」において「表面的に描かれている」ものは、「地図を制作している男性」だ。

 

しかし、この絵にはいくつもの「余白」や「受け手に考えを委ねる要素」が隠されている。では、それらの部分を確かめてみよう。

 

まず注目したいのが、絵の中で光の当たっている部分だ。

 

この絵において光が当たっているのは三つ、「棚の上の地球儀」、「壁に掛けられた地図」、そして「地図を制作する男性」だ。

 

オランダの栄華を表す二つの要素

棚の上の地球儀と、壁に掛けられた地図。この二つには当時のオランダの栄華を表す意味が込められている。

 

壁に掛けられた地図には「ヨーロッパ」が、そして棚の上の地球儀には南インド洋が描かれており、これは当時オランダが制覇していた地域だ。

 

そして一方で、日本から東側には「未知なる世界」とだけ描かれており、まだオランダが到達していない部分だとも分かる。

 

ここで一度、当時のオランダの状況を確認してみよう。当時のオランダは、小国ながらも「海運力」を武器に、世界の覇権を握っていた。

 

しかし、航海を進めるには、屈強な海の男「だけ」では不可能である。どこへ進むべきなのか、そして今どこにいるのか、そういったことを判断するためには「地理学者」や「天文学者」といった存在が必要不可欠であった。

 

地理学者が当時の航海で持っていた役割、そして地球儀に描かれた「未知の世界」、これを頭に置きながら、絵の中で光の当たっている「男性」に目を目を向けてみよう。

 

地理学者の向いている先には?

「地理学者」というテーマの通り、絵の中の男性の職業は地理学者である。実はこの男性、始めに描かれたときは下を、つまり熱心に書き記した紙(おそらく地図)に目を落としていたと言われている。実際絵に特殊な光を当てて確かめてみると、書き直した跡が確認できる。

 

では、フェルメールは何故書き直したのだろうか。

 

その理由は、「地理学者が外という未知なる世界に目を向けている状態にしたかったから」なのではないか。

 

航海に必要不可欠な地理学者が、絵には具体的には描かれていない外、光の差す窓の外の世界へ目を向けている。

 

これは正に、当時のオランダの「未知なる世界へ進んでいく様」を表しているといえるだろう。

 

「地理学者」への解釈

この絵には、「オランダの栄華」と「未知なる世界へ進んでいくオランダの姿」とを表す意味が込められている。

 

しかしそれらの意味は、決して直接的に描かれているわけではない。フェルメール特有の光の操り方や、取るに足らないような絵のパーツ、そして男性の顔の向きのような部分から「受け手に推測させる余白」を与えてくれている。

 

そう、「オランダの栄華、未知なる世界への一歩」という解釈も、あくまで一つの解釈でしかない。

 

人によっては、「遠く離れた女性を想っている地理学者」という解釈をする人もいるようだ。

 

人の解釈によって意味合いが変わるアート。固定された意味がないからこそ、十人十色の受け取り方ができるからこそ、この「地理学者」という絵は今でも多くの人の心を掴んで離さないのだろう。

 

岸明日香、そしてグラドルが持つ「余白」という概念

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岸明日香

さて、ここからが本題である。

 

「固定された意味が無く、受け手に解釈の自由を与える余白を持つ。」

 

これは、グラドルも持っている特徴だといえるのではないか。

 

グラドルは決して全裸にはならない。水着しろなんにしろ、その真実の姿は布一枚という何とも頼りない、しかし必ず剥がされないもので守られている。

 

そう、グラドルには常に「受け手に解釈の自由を与える余白」があるのだ。

 

グラドルとアートが持つ奇妙な共通点である「余白」。そしてその「余白」こそが、真実の旨みをより引き立ててくれる存在なのではないだろうか。

 

いや、この言い方ではグラドルとアートが≠の関係性になってしまっている。

 

グラドル≠アート

 

ではなく

 

余白という共通点がある限り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グラドル=アート

 

なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてグラドルの中でも僕が一番好きな「岸明日香」もまた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アートなのである。

そうだ、中央アジアへ行こう

中央アジア

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恐らく、多くの日本人は「中央アジア」についてほとんど知識を得ることなく一生を終えるのではないでしょうか。

 

世界史を勉強していた人にとっては比較的馴染み深い地域かもしれませんが、といっても「匈奴とかいたとこ?」とか、「騎馬民族が矢鱈いるところ」みたいな印象しかないかもしれません。

 

というか、世界史勉強していた勢からすると、結構中央アジアって難敵ですよね。馴染み薄い地域だし、似たような民族ばっか出てくるし。

 

そんな中央アジアですが、僕はスキです。

 

そうだ、中央アジアへ行こう

 

まず中央アジアって何?

「てかまず中央アジアってなんだよ」って人のために、すごく大雑把に一言で説明します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~~スタン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、以上です。

 

もうちょっと詳しい説明を、人類の叡智の結集である「wikipedia」先生にお願いしてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央アジア(ちゅうおうアジア)は、ユーラシア大陸またアジア中央部の内陸地域である。18世紀から19世紀にかけては一般にトルキスタンを指したが[2]、現在でも使用される。トルキスタンとは「テュルクの土地」を意味し、テュルク(突厥他)系民族が居住しており、西トルキスタン東トルキスタンの東西に分割している。

 

西トルキスタンには、旧ソ連諸国のうちカザフスタンキルギスタジキスタントルクメニスタンウズベキスタン5か国が含まれる(以下、中央アジア5か国と記す)。

 

東トルキスタン中華民国に併合されて以降、新疆省と成り、中華人民共和国に併合されて以降は新疆ウイグル自治区と成った。中国領トルキスタンウイグルスタンともいう。

 

広義には、「アジアの中央部」を意味し、東西トルキスタンのほか、カザフステップジュンガル盆地チベットモンゴル高原アフガニスタン北部、イラン東部、南ロシア草原を含む[3]UNESCOトルキスタン以外にも、モンゴル地域、チベット地域、アフガニスタン、イラン北東部、パキスタン北部、インド北部、ロシアのシベリア南部などを中央アジア概念の中に含めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、西トルキスタンにあたる「ウズベキスタン」「キルギス」「タジキスタン」「トルクメニスタン」「カザフスタン」の五つに絞って、中央アジアの魅力を語っていこうと思います。

 

その前に、まずざっくりと各国の特徴を纏めようと思います。

 

ウズベキスタン

首都は「タシュケント」。中央アジアの中でも観光において一番人気だと思います

 

領土的にはほとんど砂漠と険しい山しかないのが特徴で、気候も夏場はクソ暑く、冬場はクソ寒いという、しっかりと砂漠らしい気候です。

 

ウズベキスタンが有名なポイントとしては二つあるでしょう。一つ目が「シルクロード」、二つ目が「アラル海」です。

 

10世紀頃まで、歴史的貿易ルートとして有名なシルクロードの中継地として栄えていました。シルクロードとか、かなり有名な歴史用語に関わっている地域なはずなのに、なんでこうも無名な国なんですかね。

 

二つ目のアラル海ですが、こちらはマイナスな意味で有名な話。ソ連支配下にあったとき、環境を無視した過剰な綿花の生産をしたことで、アラル海の面積が「半分に」縮小、環境に大きな問題を与えました。

キルギス

首都「ビシュケク」。他の中央アジア諸国に比べると色々と住みやすいのが特徴。

 

まず、砂漠がないです。気候的にも安定していて、いわゆる地中海性気候ですね。温暖で乾燥していて、似た気候を持つ地域としてはイタリアのローマや、アメリカのサンフランシスコなんかが挙げられます。

 

ただ、国土の40%が標高3000mを超えているのも大きな特徴。黙っていても高山トレーニングが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やったねたえちゃん!肺活量が増えるよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タジキスタン

首都は「ドゥシャンベ」。結構歴史の深い地域で、紀元前のころからペルシア帝国の一部として有名だったみたいです。

 

有名なエピソードはタジキスタン内戦」。政府側と反政府勢力間で起きた内戦で、1992年から1997年まで続いたもの。死者数は5万人以上と推定されています。

 

このタジキスタン内戦とか、アフガン侵攻とかがあったからか、~~スタン系の国は危険っていうイメージが染み付いているのかもしれない。

 

こちらもキルギス同様、国土の半分以上が標高3000mなので、生活しているだけで高山トレーニングが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やったねたえちゃん!肺活量が増えるよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トルクメニスタン

首都は「アシガバート」です。スイスみたいな永世中立国なのが大きな特徴ですね。

 

国土のほとんどが砂漠なこともあり、やっぱり住むには向かないみたいです。

カザフスタン

首都は「ヌルスルタン」です。なんかローションみたいですね。ちなみに僕は、ギャルがローションまみれになるタイプのAVがスキ。

 

他の中央アジアに比べると秘密主義的なところがあって、結構政府からの検閲が厳しいらしいです。

 

なんで中央アジアが好きなのか

そんな感じで非常にざっくり中央アジアの国を確認したところで、なんで中央アジアが好きなのかを説明してみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も注目していないからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は大変天邪鬼な性格をしています。どれくらい天邪鬼かというと、タピオカやパンケーキには興味を示さず、その代わりにチャイやナン、パンナコッタみたいな、流行りもクソもないようなものに興味惹かれるくらいです。

 

また、AV女優もたかしょーさんみたいなめちゃくちゃ有名な人よりも、麻里梨香さんとか阿部乃みくさんみたいな、若干マイナーで、詳しくない人からしたら誰それってなるようなAV女優が好きです。

 

さらに、AV自体の内容も、MM号みたいなメジャーな企画ではなく、角オナものに時々どはまりします。ちなみに今一押しの企画は逆ナンもの。これはまあまあメジャーですけどね。

 

まあそれくらい天邪鬼な自分からすると、中央アジアという誰も注目していないような土地はなんとも魅力的なものに思えてくるわけですね。

 

ちなみに真面目な話をすると、歴史的背景が興味深いからです。騎馬民族旧ソ連の面影が見える文化や建築は、結構興味の惹かれるところがありますよね。

 

物価がバカ安い

それと中央アジアの魅力としては、「物価がバカ安い」というのも挙げられますね。

 

ウズベキスタンに移住している人のブログを読む限り、月々5~10万円ほどあれば余裕で生活できるみたいです。

 

分かりやすいところでいうと、東南アジアと同じくらいでしょうか。国によりけりなので安易に比較はできないですけど、少なくとも先進諸国よりかは格段に物価は安いみたいです。

 

人が優しい

中央アジアの魅力としてはこれも挙げられますね。

 

ソ連だった国と聞くと、みんな険しい顔をしていて、フライフェイスと呼ばれている元女性大尉がいて、全員片手にAK-47を、背中にはRPG-7を持っているような印象があるかもしれません。

 

しかしどうやら、中央アジアの人たちはめちゃくちゃフレンドリーな感じらしいです。

 

特にそれが表れるのは宿。ウズベキスタンの宿なんかはかなりホスピタリティ溢れているようです。でもこれに関しては国によりけりなところもありますね。

 

AVが見れない

ただ、良いことばかりでもありません。

中央アジアの国はほとんどがイスラム圏。イスラムというと、結構検閲が厳しいイメージがあるでしょう。

実際問題国によっては、宗教関連、暴力表現のある映像関連の持込が規制されています。

 

ただ一番の問題が、ポルノ関連の規制。持ち込み厳禁です。

 

つまり、麻里梨香さんや阿部乃みくさんみたいな、僕の好きなショートカットで痴女が似合う、イキ方の派手なAV女優作品は見れなくなるでしょう。(一応クラウドで保存して~とか、対策は出来るけど)

 

さらに問題なのが、ネット回線。こちらに関しては国によりけりですが、タジキスタンなんかはほとんどネット環境が整ってなかったり、トルクメニスタンみたいな検閲が厳しいところではネットサーフィンも制限されるでしょう。

 

そのため、僕のお世話になっているpornhubtube8sharevideosなんかは当然見れないでしょう。

 

あまりにもハードな生活になる。それだけは確かです。

食文化が面白い

こちらに関してはマイナスと捉えるかプラスに捉えるか微妙なところです。

 

全体的に共通しているのが「脂っこい」ということ。観光客の多くは胃もたれに悩まされるみたいですね。

 

ただ、羊肉や馬肉みたいな、日本では若干マイナーな肉が中央アジアでは主役になっています。結構面白そうですよね。

 

調べてみた感じだと、ロシアと中国、そしてインドの料理を足して割ったみたいな雰囲気ですね。結構独特だと思います。

 

日本でもウズベク料理として食べられるお店が結構あるみたいなので、興味のあるショートカットの女性が居ましたら連絡ください。

 

中央アジア、いいでしょ

そんな感じで、中央アジアの魅力を非常にざっくりとまとめてみました。

 

実際、ネット環境が整っていれば移住もありかもなーと思ってたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのためにも、まずは乗馬の練習から始めようかな。

四・○六事件

四・○六事件は、2019年(平成31年)4月6日の朝7時から夜2時にかけて行われた、性欲原理主義派の影響を受けた性欲が、数億の下士官を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。 

 

事件の概要

ツカダリュウノスケの脳内の派閥の一つである「性欲原理主義」の影響を受けた性欲と精子らは、かねてから「性欲維新、尊性斬奸」をスローガンに、性欲を以って元老である脳を占領すれば、性欲親政が実現し、性欲らが腐敗と考えている様々な現象や、女性関係に関する困窮が終息すると考えていた。

 

こうして、性欲らは2019年(平成31年)4月6日に決起する。

 

性欲らは右金玉第1連隊、左金玉第3連隊、海綿体第3連隊、尿道重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、チンポに関わる重役たちを襲撃、中枢神経大臣官邸、脊髄神経庁、陰茎深動官邸、螺行動脈省、平滑筋本部、平滑筋大臣官邸、動画エロタレストを占拠した。

そのうえで、彼らは中枢神経首脳部を経由してチンポに性欲維新を訴えたが、チンポはこれを拒否。その後ツカダリュウノスケは、彼らを「叛乱軍」としてオナニーによるチン圧を決意した。

 

主な人物

首謀者

性欲

性欲は、1989年2月26日、ツカダリュウノスケの誕生と共に生まれた。長らく鳴りを潜めていた彼だが、小学校高学年ごろから度々脳の中枢神経を通してクーデターを行っていた。

直近の大規模なクーデターとしては、四・○六事件が挙げられる。

しかし、それ以前にも幾つか大規模なものを起こしており、「送別会勃起事件」や、「水泳時勃起事件」などが挙げられる。

 

精子

性欲の下士官らの呼び名である。性欲のクーデターの度に凡そ1億近くが動員されており、「生命の無駄使いだ」と時折脳内会議にて糾弾されている。時折、パンツをカビカビにし、ツカダリュウノスケを困らせている。

 

被害者

金玉

性欲によるクーデターに伴う射精により、毎回苦しめられている。四・○六事件の際には、「このままでは干からびかねない」と、脳の中枢神経に伝達していたと言われている。

 

右手

性欲によるクーデターによって勃起したちんぽをチン圧するために動員される実行部隊。性欲が最も恐れていた存在とも言われている。僕の利き手。

 

ツカダリュウノスケ

性欲によるクーデターによって何度も苦しめられている存在。現在21歳男性。

四・○六事件においては、性欲のクーデターにより作業が捗らないことで、精神的ストレスに見舞われていたといわれており、一時期はちんぽのリストラも含む去勢を行おうと画策していた。

 

事件の背景

性欲は度々クーデターを起こしていたが、今回の事件が起きた背景としては「亜鉛サプリメント」だと考えられている。

「なんか最近性欲ないな」と悩んでいたツカダリュウノスケは、亜鉛サプリメントをなんとなく一週間ほど常飲していた。

その結果、性欲に「性欲原理主義」という考えが生まれ、今回の事件が起きたと考えられている。

 

また、「女性関係の困窮問題」も深刻な問題であった。ツカダリュウノスケの生活問題として度々脳内会議でも大きな議題となっていた女性関係の困窮問題であるが、解決策は出てこなかった。

それに業を煮やした性欲は、「とりあえず性欲に任せていきていたら何とかなるでしょ」という暴論を解決策として挙げていた。

しかし、その解決策は受理されなかった。そのため、今回の四・○六事件から、早期に女性の困窮問題を解決しなければより大きな問題となることを示威したかったのではないかというのも、事件の背景として考えられている。

 

事件の経緯

朝の7時、起床と共に事件は始まった。突如として性欲はクーデターを起こし、チンポを勃起させたのだ。

しかし、最初のクーデターは右手と、麻梨里夏のナンパものAVによりチン圧された。

このチン圧により、一億の下士官らが犠牲になる。しかし、当の性欲は一時的に姿を消した。こうして、一度目のクーデターは終了する。

 

第一のクーデターから約5時間後の12時ごろ、影に潜んでいた性欲が再び姿を表す。そして二度目のクーデターが引き起こされた。

もうクーデターは起きないだろうと高を括っていたツカダリュウノスケは対応が遅れてしまった。そのため、二度目のクーデター大変長引いたといわれている。

凡そ一時間に渡る勃起が続いたが、右手とOLものAVによりちんぽの勃起は収まり、クーデターもチン圧された。

さすがに3度目のクーデターはないだろうと考えられていたが、性欲はその裏をかいてきた。

3度目のクーデターはおおよそ深夜2時ごろに起こったようだ。

しかし、このクーデターは思わぬ形で終結する。

 

その終結を率いたのは

 

「睡魔」だった。

 

「食欲」「睡眠欲」「性欲」。この三つは、人間の三大欲求と言われている。

性欲によるクーデターは、この三大欲求の中で一番だからこそ起こせていた。しかし、深夜2時ともなり、睡眠欲が大きく幅を利かせてきたのだ。

 

その結果、「抜くより眠いわ、寝る」となり、クーデターは思わぬ形で終了し、四・○六事件も終結した。

 

いまなお燻る性欲

四・○六事件はこうして終わりを迎えたが、だからといって性欲がなくなったわけではない。

いまもなお、性欲は燻っており、抑制された自由を取り返そうとしているようだ。

 

しかし、四・○六事件は確かな影響を残している。今回の事件を受けてツカダリュウノスケは、女性関係の困窮問題を重要視するようになった。

 

女性問題の困窮問題を解決できるのかどうかが、今後の脳内会議では争点になっていくようだ。

「ちんぽが喜んでいる」に隠されたAV女優の真の才能

つい昨日、僕はいつも通りエロ動画をネットで探していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕のインターネットサーフィン、つまるところおかず探しはとても長い道のりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日中溜めに溜めた性欲を吐き出すためには、そんじょそこらの生ぬるいAVでは満足できない。だから、最高のAVを捜し求めて、僕はあまりにも長い時間を掛け、インターネットの海を彷徨う。まさに世は大オナニー時代、といったところだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エロ動画探しとオナニーを、僕は時折登山と例えることがある。

 

エロ動画を探す道のりは登山ととても似ている。

 

エロ動画探しは、登山の上り道だ。時には険しいコースもある。断崖絶壁を登るかの如く、僕のエロ動画探しにも時折厳しい局面が訪れる。求めているエロ動画が探し出せないようなこともあれば、インターネットの接続状態が悪くて難局を示すことも少なくない。

 

オナニーは、山頂からの眺めだ。険しい道のりや断崖絶壁を乗り越えてきたからこそ、最高の絶景を目に焼き付けることが出来る。厳しい局面を避けて通っては、山頂からの眺めは見れない。オナニーも同じである。苦節極まりない道程を経て得たエロ動画で抜くからこそ、最高の絶頂を脳に焼き付けることが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして僕の人差し指は、最高の絶景を探し出すために、スマートフォンの画面の上を素早く滑る。僕の人差し指があまりにも早く動くので、スマートフォンの画面は摩擦熱で焼け焦げ、あらゆるところが黒ずんだり溶けたりしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして僕は昨日の晩、一つの作品と巡りあった。

 

そのエロ動画は、女優が男優をフェラ抜きするという内容。15分ほどの長さに渡るフェラ抜きは、フェラ好きには垂涎なものなのではないだろうか。

 

そして僕はその作品の中で、恐ろしいまでのAV女優の才能を見せ付けられた。

 

当然、フェラの技術は一人前だ。あんな竜巻のような激しさを持ったフェラをされれば、凡夫のちんぽは数秒も経たず音を上げるだろう。

 

しかし、僕が注目したAV女優の才能はフェラの上手さではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では何か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちんぽが喜んでいる」

 

この台詞だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とんでもない名言だ。「ちんぽが喜んでいる」。美しい響き、令和ではなく、「ちんぽが喜んでいる」が新しい元号になってもよかったのではないか。それほどまでに耽美で、そして平和の香りがする台詞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちんぽが喜んでいる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし僕は、この言葉を生みだしたAV女優の語彙力と共に、もう一つの才能に気づいた。

 

それは、この言葉を聞いた時に生まれた一つの疑問に端を発する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちんぽって喜ぶのだろうか。

 

という疑問だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも僕は、自分のちんぽが喜んでいると感じたことはないし、当然ちんぽが怒っているとも、哀しんでいるとも、楽しんでいるとも感じたことはない。

 

そもそも、ちんぽに喜怒哀楽などない。ちんぽが勃起するのはただの生理反応でしかないし、射精も当然そうだ。ちんぽに脳があり、ちんぽが自分の意思で喜び、猛り、そして射精する。そんなわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちんぽに喜怒哀楽はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにも関わらず、AV女優は「ちんぽが喜んでいる」と、まるで母のような優しい微笑を携えながらフェラをする。

 

AV女優は、感情のないちんぽに喜怒哀楽を見出す。いや、感情のないちんぽに喜怒哀楽の概念を与える存在なのだ。

 

そう考えると、AV女優には僕らにはない想像力が備わっていると考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしここで、もう一つの疑問が僕の中には生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちんぽには本当に喜怒哀楽が無いのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我々人間は時折、ちんぽのことを「息子」と呼ぶ。何故息子と呼ぶのか、その理由の一つとして挙げられるのが、「男性の別人格のようであるから」だ。

 

しかし、僕はもう一つの論理を提唱したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、「本当に息子だから」というものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、ちんぽはちんぽでありながらも、一人の人間である、という考え方である。

 

そう考えると、AV女優が「ちんぽが喜んでいる」という台詞を言うのも納得いくだろう。

 

AV女優は、ちんぽでありながら人間でもあるちんぽをフェラすることで、ちんぽを喜ばせている、いや、一人の人間を喜ばせている、という風に考えられる。

 

つまり、ちんぽが喜んでいるという台詞は、「一人の人間が喜んでいる」という意味合いなのではないか。

 

「ちんぽが喜んでいる」を文字通り取ると、ちんぽという概念に喜怒哀楽があるように聞こえるが、「ちんぽは一人の人間である」という考え方に則ると、ちんぽの奥にある「人間性」が喜んでいる、と捉えることが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし多くの人間は、ちんぽの奥に潜んでいる人間性という真実に気づくことができない。実際、僕は自分のちんぽに喜怒哀楽のような人間性が潜んでいると感じたことはない。

 

しかし、AV女優はそのちんぽの奥に隠された人間性に気づくことができる。

 

そのため、恐らく多くのAV女優には「ちんぽのような話すことのない相手の気持ちすら汲み取れるコミュニケーション能力」があるのではないだろうかと僕は考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代日本社会に生きる人間は、インターネットやSNSの普及、少子高齢化核家族化などに伴い、直接的なコミュニケーションを取る機会が減ってきている。

 

そういった現代日本社会の中で、ちんぽという存在の奥に隠された人間性に気づき、喜怒哀楽に反応できる才能を持つAV女優という存在は、とても稀有なものなのではないだろうか。

 

我々現代日本社会に生きる人間は、AV女優から確かなコミュニケーション能力を学ぶことができるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてことを、自分のちんぽを喜ばせながら思いました。

ユスリカ舞う季節

最近困っていることがあります。

 

それがユスリカの襲撃です。

 

 

 

ユスリカ(揺蚊)はハエ目(双翅目)・糸角亜目・ユスリカ科(Chironomidae)に属する昆虫の総称。和名は幼虫が体を揺するように動かすことに由来すると言われる。成虫はカ(蚊)によく似た大きさや姿をしているが、刺すことはない。またカのような鱗粉も持たないため、カと見誤って叩いても、黒っぽい粉のようなものが肌に付くことはない。

出典wikipedia

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年春になると、ユスリカが家の周辺に大量発生します。

 

殆どの人は、春の訪れを桜で感じるかもしれませんが、僕の場合はユスリカです。情緒も何もあったものではありません。

 

さらに困るのが、ユスリカが部屋に大量に侵入、もとい襲撃してくることです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今こうしてブログを書いているときにも、視界の端でユスリカの野郎が飛んでいるのが見えました。

 

野郎なんて単位ではありません。野郎共です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奴らは徒党を組んで部屋を襲撃してきます。そう、奴らにはきっと知性があり、僕ら人間の生産性を落とすためにこうして部屋を複数人で襲撃してくるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめてください、本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕だって、春の訪れを桜に感じて、花見とかいきたいんですよ。

 

でも、僕の場合だと春というとユスリカ。ユスリカ見ながら友達と談笑して、お酒飲むとか無理じゃないですか。まず僕虫苦手だし。

 

そういえば、お花見ってしたことないんですよね。これって多分、ユスリカのせいなんじゃないかなと思います。

 

だって僕が春の訪れを感じるの、ユスリカだもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体、何でユスリカが大量発生するんですか?

 

ユスリカのせいで外に洗濯物干せないから、除湿機買いましたよ。

 

それ以外にも、ユスリカは僕の生活に大きな害を及ぼしているんですよね。

 

寝るじゃないですか、人って。でもそのときに部屋にユスリカが飛んでたらどうしますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺すじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、日によっては際限なく沸いてくるわけですよ。ユスリカのリスポーン地点に指定されているわけですよ、僕の部屋。

 

だからか分からないですけど、最近寝る前にかなり目を凝らして部屋にユスリカがいないか確かめちゃうんですよ。

 

でもリスポーン地点だから大体発見してしまうわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺すじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを永遠と繰り返しているせいか、最近夜中々寝れないんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、今日も夜が来るのが怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、もう気づいたら夜ですね。ユスリカを殺していたら気づけば夜だ。あ、また視界の端にユスリカが写った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺すじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝れないじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の寝れない理由は、ずっとゲームしてるからです。最近ブログ更新してなかったのもそのせいです。ユスリカの所為にしちゃってごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、部屋を襲撃するのは本当にやめてください。何がしたいんだよ。勝手に人の部屋入るなよ。せめてノックなりチャイムなり鳴らせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてゲームしてユスリカ殺して寝ますか。