今の「ボク」はどの「ボク」ですか?
時折、自分が二重人格、あるいは多重人格なのではないかと疑うことがあります。
二重人格とは?
人格の障害の一種とされ,自我の継時的統一性が失われて2種あるいはそれ以上 (多重人格) に分裂する障害をさす。 W.ジェームズのあげているアンセル・ボーンの例では,2つの人格がある期間をへだてて現れ,それぞれ相異なる姓名を名のり,まったく別の職業についていて,相互の間には記憶の連絡がなかったといわれる。
出典 コトバンク
なぜ、僕は僕が二重人格であると疑うのか。
そのきっかけになったのが、
オナニーでした。
自分が射精をする前には、画面の向こうで繰り広げられる非常に情熱的な性行為に魅了され、心惹かれ、陰茎をこれ以上ないまでに膨張、隆起させ、完全に釘付けになるのですが、ひとたび射精すると
それがただの奇怪で不気味な、形容しがたい不潔さを持った組体操にしか見えなくなるのです。
こういった体験から、自分の人格が一つとは言えないのではないかと思うに至ったのです。
そして、僕はこの「性行為が大変魅力的見える自分」と、「性行為が奇怪な組体操にしか見えない自分」との乖離に大変苦しめられています。
ついさっきまではとても美しく、妖艶に、そして淫らに見えた女性が一瞬の内に
とても不潔で動物的な妖怪に見えてしまいます。
ついさっきまでは、自己投影しながらも、指をくわえるまでに「騎乗位されていいなと」羨ましがっていた男優が
とても滑稽な存在で、まるで魂のないマネキンのように見えてしまいます。
このような弊害のある僕の二重人格性ですが、一番の弊害として挙げられる事象があります。
それは
「お掃除フェラに良さをを見出せなくなってしまうこと」なのです。
奇怪な組体操を終えた後に、精液の残った陰茎をしゃぶり尽くし、「気持ちいでしょ」とどちゃくそエロい顔で述べる女性。
「怖い。」
射精した後の「ボク」という人格は、その「お掃除フェラ」という行為に対して確かに恐怖を感じました。
しかし恐らく、射精前の「ボク」であれば、その「お掃除フェラ」という行為に対して、決して恐怖は感じないでしょう。
むしろそこに感じるのは恐怖などというマイナスな感情ではなく、明らかなプラスの感情である
「気持ちよさそー!!」
だと思います。
恐らくですが、その気持ちよさそーという感情は、決して心だけに留まるものではなく、確実に僕の身体にも影響を及ぼすのではないかと思います。
きっと、「お掃除フェラ」という行為に対して興奮して射精の限りを尽くすでしょう。
一度性行為を果たし、満足したと思いきや陰茎をしゃぶりだす女性。その淫らであり、残った精子を搾り出そうとするむき出しの本能、しかしその行為に至るのは、本能とは異なる理性から生まれる献身的な心持ち。
「お掃除フェラ」
なんてエロい行為なのでしょうか。
しかし、お掃除フェラを見た段階で、僕には気持ちよさそーという感情が生まれ、その感情が陰茎に伝わり射精してしまいます。
そうすると
画面の向こうの「お掃除フェラ」は「奇怪な組体操」にしか見えなくなる。
お掃除フェラを性行為として捉えている自分と、お掃除フェラをただの奇怪で不気味な組体操と捉えてしまう自分。
多い日には計3回ほど、こういった体験をしてしまいます。
一度のオナニーで二つの「ボク」という人格が現れると考えると、多い日には計6人の僕が生まれてしまいます。
二重人格どころか、六重人格になる日もある僕という存在。
果たして今の僕は、どの人格なのでしょうか。